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 旅システムさんのエントリ配信

2011/10/24
百松山岳会 今野平支郎氏――頂上でブロッケン現象 百松山岳会フアンシーパン登頂

投稿: 旅システム (7:01 pm)
  百松山岳会さんのベトナムのファンシーパン登頂のツアーを旅システムでお手伝いさせていただきました。
ギャラリーの写真とあわせてご覧下さい。

(青木)
 


〔地図を自分で作って〕

 百松山岳会は、これまでネパール(アンナプルナ内院)、スイスアルプス、東部アルプス(オーストリア)、ピレネー山脈、カナディアンロッキー、アラスカ、中国梅里雪山などのトレッキングを行なってきた。この集大成としてベトナム最高峰(インドシナ半島の最高峰でもある)のフアンシーパン山(3143m)の登山を企画した。
 今回は登山なので、頂上を踏む事が目標となる。フアンシーパンは、日本では南アルプスの北岳(3192m)に匹敵する山である。他の道央の会では、エベレストをはじめ7・8千メートル級の山に登頂しているので、3000mクラスの山は問題にはならないが、平均年齢65歳の、わが百松山岳会にしてみれば高い方である。
 登山を企画するには、その山の情報が必要である、特に地図は絶対必用である。今回地図を求めて、旅行会社、ベトナム大使館、市内の書店を回ったが、結局見つからなくて、パソコンからグーグルの等高線の入った地図をピックアップして、パソコンの登山記事の絵地図と照合して、自分で登山道を記した行動地図を作った。現地の登山基地サパに行って本屋さんで地図を探したが、観光用の大まかな絵地図しかなく、殆ど参考にならなかった。登山道はしっかりしているということなので実行に移す事にした。
 登山記録は、パソコンのホームページに掲載されている「登山記」しかなく、これを参考にた。しかし「こんな山は簡単だ、日帰りで充分」と言うのから、「一泊は必要な山だ」「途中沢を渡渉するので、沢の経験が必要だ」というのまで、評価はまちまちであった。パソコンの登山記には、個人差があり、往々にして自慢話的な記事が多いので、特にコースタイムなどは鵜呑みにできない。                      ベトナムまでは、旅費を安くするため韓国周りのコリアンエアーにした。千歳から韓国のインチョン空港へ行き、そこからハノイ行きに乗りかえる。ハノイからは夜行列車で中国との国境の町ラオカイまで行き、そこから貸し切りバスで登山基地のサパまで行く。サパの町は標高1560mで、フランが植民地支配していたときの避暑地で、フランス風の面影が残っている。

〔沢沿いのコースを第一のキャンプ地へ〕

 サパの町から小型バスで、舗装道路を約40分でシンチャイ村のフアンシーパンの登山口に着く。ここはすでに1900mの標高がある。登山口には立派な歓迎ゲートと管理事務所の建物がある。ここで登山登録をしてポータの人に荷物を預ける。ここには車10台は停まれる駐車スペースと、飲み物などの売店がある。私たちの場合2名に1名のポータが付いたので、自分の持つ荷物は必用最小限にして身軽にして登る事ができた。
   
 登山口からは、薄暗い沢沿いに進む、いくつか小沢をわたって左側の沢筋に入り小尾根を越えてまた沢筋に入る。このあたりで浅い沢を渡るが、これを「途中で沢を渡渉する」という登山記を思い出した。確かに雨季だと登山靴が水に没するだろうが、私たちの時は乾季の入り口で水量が少なかったためか、登山靴が濡れることは無かった。ここを越えると少し急な坂道を登り尾根筋に辿り着く。この尾根は沢筋から離れて頂上続く大きな尾根につながる。少し登ると平らな窪地の標高2100mの第一キャンプ場に着く。三角屋根の山小屋があり、向かい側に水やジュースを売っている売店兼炊事場・食堂がある。犬を二匹飼っており、一匹は常に吠えている。
 猫も一匹おり犬とじゃれていた。水洗トイレも?も沢筋にあり割と清潔だ。テントも何張りか張る場所がある。私たちはここで昼食をとり、約1時間ほど休憩。

〔豪華な夕食の第2キャンプ〕

 このキャンプ場からは急な登山道を登るが、周りは家畜の放牧地で、牛や羊の糞があちこちに散らばっており、牧場の中を歩いているようだ。水牛も放牧?されており、ヌタバも登山道のすぐそばにある。この尾根に上がると、周りの地形が良く見える。天気が良ければたぶんフアンシーパンの頂上が見えるかもしれない。
 なだらかな尾根をほぼ真っすぐ進むと、頂上から張り出している尾根につながり、大きく左に曲がる。緩いが一度大きく下り左の尾根に取り付くと、急な登りの連続となる。行けども行けども目の前に「これでもか、これでもか」というように次々に山の頂が立ち塞がる。それでも急な登りのあとに、少し平らな道があり息抜きができるようになっているのが面白い。
   
 途中一箇所急な下りと上りがある、ここを注意して越せばあとは特に危険なところは無い。
沢は深く尾根は狭いが、登山道には竹を模したコンクリートの防護策が延々とついている。なぜ竹なのかというと、頂上から張り出しているこの尾根の殆どが竹林の中を通っていて、これに配慮したものであろう。山のコブを5つくらい越すと、少し下ったところの標高2800mの地点に第二キャンプ場がある。やはり三角屋根の山小屋がある。
 ここからは、フアンシーパンのジャンクションピーク(前衛峰)が荒々しくそそり立ち、これからのアルバイトのキツさを予測させる。
 当初の予定では、この日に登頂し、帰ってきて泊まる予定であったが、登山開始の時間が遅かった(登山口発8:45)こと、足の遅いメンバーがおりこれを待っていた事、昼食の時間を少し多くとったことなどで、キャンプ場には15:50の到着になり、その日の登頂は見送った。夕焼けがきれいで前衛峰が真っ赤に染まり、明日の登頂が楽しみだ。
 キャンプ場には炊事場とトイレもあり、時には300名ほどがキャンプを張ったことがあるという広いキャンプ場だ。この日は私たちだけの宿泊だった。私たちの場合、ガイド、ポーター、キッチンボーイ付きの大名登山だったが、キッチンボーイつきの登山は始めてで、夕食が楽しみだ。ローソクの灯の元に、ベトナム料理、中国料理とも付かない料理だったが、ご飯のほかに8品の豪華な作りたての夕食が私たちの前に並べられた。味付けも良く、サパのレストランで食べた夕食よりも豪華でしかも味付けも良い、ともっぱらの評判だった。

〔急なアップダウンとブロッケン〕

 翌朝、3時起床4時小屋発、ヘッドランプをつけて竹藪の中につけられた登山道を登る、最初100mほど登り、あとは40分ほどトラバース気味に進む、ここからジャンクションピークの間にある沢筋に向かって急な岩場を下り、登り返してまた下る、途中の急場にはハシゴもある。これを数回繰り返すとやっと岩場が終る。この登山中一番の難所と言えるかもしれない。岩場が終るとほぼ緩やかな登りとなり、6時10分に頂上に着く。小屋から2時間10分の行程だ。
 昨夜は、札幌では絶対見ることができない降るような星がきらめく夜空で、夜中に仰向けになって星を眺めていたメンバーがいたくらいの天候だった。出発時には回り一面に層雲が漂っていた。これは俗に言う朝霧で、天候がよくなる前兆でもある。頂上では足元に漂う層雲に自分の影が映り、頭の周りに虹ができるブロッケン現象を見ることができた。このような気象現象は条件がよくないと見ることができないので、幸運であった。
   
   
 頂上では、ブロッケンを見ながら朝食をとり、登頂の喜びを胸に収めて7時に下山を開始した。
 亜熱帯地方の山だけあって、登山口から頂上までツルリンドウ、ランの花など、この時期でもたくさんの花が咲いていた。
今回登山に参加したメンバーは7名で、8合目の小屋でリタイアしたメンバーが2名いたので、頂上を踏んだメンバーは5名であった。重要なことは一人もカスリ傷一つ無く無事下山した事である  このほか旅行には参加したが、サパの付近で現地住民(クロモン族など少数民族)の暮らしを見学したメンバーが添乗員を含め3名いた。サパ付近は段々畑が一面に広がり、このあたりは二毛作で黄金色の稲穂がたわわに頭をたれていて、狭い土地を有効に使って暮らしている姿が見て取れた。この後世界遺産ハロン湾の船旅などのアトラクションがあった。
 ベトナムの印象は、ハノイではとにかくバイクが多く、信号が少なく交通ルールがあるのか無いのか分からない事、ハノイではとにかく活気に?溢れている事などが印象に残った。料理は日本人の口にあっていて美味しかったこと、お金の単位の桁が多く、10000ドンが40円なので、桁の違うお金の計算が大変だった。



百松山岳会 今野平支郎氏
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