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2011/06/09
北海道平和委員会代表理事 三宅信一氏――矢臼別の馬飼いと自衛隊
投稿: 旅システム (4:05 pm)
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遺品の中に、黄ばんだ原稿用紙に手書きの原稿がありました。出身地の岐阜県大垣市の文学団体の機関誌に17回も連載した自分史もありました。そのほかにエッセイも数多く遺されていました。 それらは通夜の日に手に入りました。すぐにでも出版したかったのですが「歯止め」がかかっていました。遺言「お別れに当たって」があったのです。その三項目のひとつに、「墓石、碑などを建てたり、俺から出たもの=言ったこと書いたもの=などを形にして残すことはしないでください」と。そのあとに、「但し、言うまでもないことですが、俺を批評したり、論評したりすることは自由で文句はつけません」と書いてありました。 ところが昨年のこと、ひとり娘の三九子(みくこ)が碑を建てました。母が亡くなった後、父氾二はこつこつと墓碑に「普実子の碑」の文字を刻みました。それなのに「俺の言ったこと、書いたものは形にするな」というのはおかしい、と除幕式で釈明しています。墓碑には、父氾二が色紙に書いた「時速四キロの人生」の文字が刻まれています。 このような経緯もあって、ようやく単行本出版の段取りに入ることができました。ところが東日本大震災のため、用紙とインクの手配が難しくなりました。ところがこれもまた、亡くなった川瀬氾二の人徳とでもいうべきか、「5月3日憲法の日」に発行という幸運に恵まれました。 彼は1926年8月生まれ、わたしは同年2月の生まれですが、矢臼別での付き合いは半世紀近くなります。矢臼別演習所設置のための民有地買収がはじまったのは1963年春からでした。そのころからの、実の兄弟より長い付き合いでした。 この本は、青年学校時代、8月1日から15日までの軍隊経験からはじまり、開拓実習場時代、開拓の悪戦苦闘、そして自衛隊との対決へと進みます。 「憲法の申し子」というべき川瀬氾二に心を寄せていただいた皆さんにお勧めの一冊です。 北海道平和委員会代表理事 三宅信一 |
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