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 旅システムさんのエントリ配信

2015/08/24
沖縄の怒りは全国の怒り 

投稿: 旅システム (10:56 am)
 戦後70年を迎えた今年、北海道民医連で「いのちと暮らし、平和を守る憲法学習大運動」が行われています。その企画のひとつとして、6月17〜19 日、沖縄・辺野古新基地建設反対のたたかいに連帯しようと、全道の職員19人と一緒に沖縄を訪問し、座り込み行動に参加しました。


渋谷真樹さん


住民たちが味方になった瀬長さん
 那覇空港に着き、空調の効いた飛行機から降りると梅雨明けの強烈な太陽が待っていました。暑さに慣れるまもなく、「不屈館」に立ち寄りました。太平洋戦争後、米軍占領下の圧政と弾圧に抵抗し、本土復帰を実現した瀬長亀次郎さんの資料が展示されています。そのたたかいには常に、沖縄県民が味方についていました。那覇市長になった瀬長さんを支えようと、住民たちが率先して税金を納め、77%だった納税率が97%に跳ね上がったと知り驚きました。「税金を納めたい」と思わせる首長なんて、そう多くはないでしょう。

アメリカの植民地だ
 2日目は、普天間飛行場とその周辺の住宅地が一望できる嘉数の丘、嘉手納米軍基地が見渡せる安保の丘と、辺野古・キャンプ・シュワブゲート前を訪れました。 案内してくれたのは平和ガイドの横田真理子さん。国体護持のために沖縄が犠牲にされ、住民の土地が不当に奪われてきた歴史、米軍基地による経済効果が5%に満たないことなど、沖縄県民の思いを交えながら、豊富な知識をもとに紹介していただきました。
 嘉数の丘では、20人ほどの米軍兵士が学習ツアーを行っていました。横田さんは「彼らは平和学習ではなく、どうやって沖縄を攻略したのかを学んでいる」 と説明します。もし戦争が始まったら、沖縄戦が参考にされる……そう考えると悲しく、残念な気持ちがこみあげてきました。
 バスから見える景色には、常に米軍施設の金網がありました。金網の奥には大きな住宅や施設が広がり、その外には、日本人が暮らす小さな家々が連なっています。県民を「銃剣とブルドーザー」で追いやり、米軍には「思いやり予算」。あべこべです。沖縄は未だにアメリカの植民地なのだと確信しました。新基地が作られようとしているなんてありえない!そんな思いで辺野古、キャンプ・シュワブゲート前に向かいました。



本気の訴えに圧倒された
 「危険ですので立ち止まらないでください」「危険なことをしているのはあなたたちだ!県民の声を受け止めろ!あなたたちが立ち退かせるのは新基地建設を強行する人たちだ!」。
 米軍基地の金網の中から警察が抗議をやめるよう警告し、閉ざされたゲート前にズラリと民間の警備員が立ち並びます。その前にデモ隊が対峙し、くば笠をした沖縄のおじぃ、おばぁたちが拳を突き上げます。それ以上踏み込めば逮捕されるかもしれない、ギリギリのたたかい。今回の行動で、最も印象に残った場面でした。これまで何度もデモや集会に参加してきましたが、これほど迫力ある訴えを感じたことがありませんでした。
 ここで朝6時から10時間、毎日抗議の座り込み行動が続けられています。私たちが訪れた日は、100人を超える人がいました。陽気な司会者が、「色白で腹黒な私が、色黒で腹黒になってしまった」とジョークを飛ばし、参加者たちを笑わせました。夕方に30分ほど行われる抗議デモ以外は、替え歌や踊りなどが披露され、笑顔と拍手に包まれます。「怒るだけじゃ楽しくない。楽しくなければ続けられないね」と、日焼けしたおばぁが笑いました。

もっと自由に 楽しんで
 私は毎週金曜に北海道庁前で2時間、反原発抗議行動を続けています。3・11以降、再稼働を許してこなかったものの、いつまで続けるのか分からないまま、雨の日も吹雪の日も立ち続けるのはやはり辛いのです。その行動と座り込み行動を重ねました。私たちも、もっと自由にやっていいじゃないか。そう気づかされました。
 その日の夕方は自由行動となりました。那覇市の国際通りにある居酒屋で、今回の行動ではじめて沖縄らしいものを口にしました。海ぶどう、豚足、スクガラス豆腐などをオリオンビールで流し込み、タイトなスケジュールの中のオアシスを楽しみました。

戦争になる前に解決したい
 最終日は、魂魄の塔、ひめゆりの塔などを訪れました。平和祈念資料館には、目を背けたくなる写真や戦争体験証言が展示されています。「ガマ」と呼ばれる自然の壕が再現され、泣き叫ぶ赤ん坊を黙らせるよう、住民を銃剣で脅す兵士の人形がありました。ガイドの横田さんが説明します。「泣きやまない子どもを日本兵が殺したこともありました。口を押さえられている子は今、70歳。親から真実を聞かされてきた。だから沖縄の人たちには、安倍首相の考えがわかります。基地はいらないという思いが、私たちをたたかいに駆り立てているのです」。
 「戦争になれば日本人が日本人を銃剣で脅すようになる。その前に、平和的に解決したい」。キャンプ・シュワブゲート前で感じた沖縄の人々の熱意の理由に気付きました。

渋谷真樹
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