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「無言館・信濃デッサン館を訪ねる信州の旅」を終えて

投稿日時 2018-9-3 10:12:11
投稿 旅システム
 小樽文學舎(市立小樽文学館の支援団体)では、会員を対象にして2泊3日程度の少し足を伸ばして遠出する文学散歩を、この20年ほどのあいだに10回以上行ってきた。例えば、「太宰治の『津軽』」「啄木・賢治・『遠野物語の里』訪問」「鎌倉・江ノ電沿線めぐり」「越後文学散歩」など。またこれは特別であったが、2001年には文学書寄贈を通じた交流の成果として「韓国・木浦『小樽文學舎の部屋』」を実施したこともあった。

 諸事情からしばらく途絶えていた小樽文学館企画小樽文學舎主催の文学散歩を今年久しぶりに再開することになったのは、ひとつのニュースに私が衝撃を受けたからである。
 2018年3月15日、「信濃デッサン館」無期限休館。
 同館は十数年まえにも同様の宣言をしたことがあったが、このときは篤志家の力添えで短期間で立ち直った。そのときとは状況が違う。事実上の閉館とも聞いた。



 昨秋、市立小樽文学館では「『信濃デッサン館』『無言館』 窪島誠一郎展」と題した企画展を実施した。窪島誠一郎さんの波瀾万丈の生い立ちと、窪島さんが手がけた音楽・演劇の小ホール、そしてミュージアムの足跡、数々の著作を展示紹介したものである。
 市立小樽文学館の開館は1978年、窪島さんが「信濃デッサン館」を開館したのはその翌年である。その窪島さんとは、小樽生まれの詩人でデッサン画家の小熊秀雄展(1984年)の実施以来の縁がある。仕事上の縁をべつにしても、一人一人の作家とその作品を慈しみ、そこにもっともふさわしい場所を用意するような小ミュージアムの運営は、小樽文学館のような小規模文学資料館にとって人ごととは思えなかったのである。

 野の花のようにひっそりと生きてきたデッサン館の運命を大きく変えたのは、1997年に開館した「無言館」だろう。窪島さんがいわば人生を賭ける覚悟で引き受けた戦没画学生慰霊美術館である。
 「無言館」は、恐らく窪島さんの想定以上に大きな反響を得た。全国から集まる観客、各地から要請相次ぐ巡回展。それは窪島さんの事業を経済面で支える力にもなったろうが、同時に窪島さんに個人的な美術への愛着を超えた社会的責任を負わせることになった。また両館の館主であるとは言え、「無言館」に集まった力を「信濃デッサン館」に分散するというようなことは、さまざまな事情からできなかったのである。
 財政面での行き詰まりに加え、昨年から今年にかけ窪島さんを立て続けに襲った命に関わるような大病が、窪島さんに「信濃デッサン館」を閉館し、「無言館」存続にすべてを集中させる、という大きな決心をさせたのだろう。



 この三十数年来、私は用があってもなくても、ときどき「信濃デッサン館」を訪れていた。その間新しい作品も収蔵され、館そのものも改修されているが、「信濃デッサン館」の印象は初めて訪れたときと少しも変わらない。扉を開けると視線の先に村山槐多の裸婦があり、関根正二の自画像があり、野田英夫のカリフォルニアの心象風景画がある。それらを今度こそ、眼に、心に、刻みつけておこうと思った。
 そして退院直後ということで、お目に掛かるのは到底無理と聞いていたのに、私たちを出迎え「デッサン館」「無言館」への思いを淡々と語ってくださった窪島誠一郎館主にはどのような言葉を伝えようか。窪島さんが「信濃デッサン館」を畳むのは、自分そのものを畳むことなのだ。それを肝に銘じ、私もこれからの小樽文学館に関わっていくつもりだ。

 今回、いろいろ困難な条件のなか「無言館」「信濃デッサン館」を中心に、「安曇野ちひろ美術館」そして諏訪湖や松本城など楽しいコースもしっかり組み込んで全行程を安心して委ねることができた旅行会社「旅システム」の青木久美子さんには、心から感謝申し上げたい。それなのに個人的な思いばかり連ねて、旅行の報告にもなっていないが、どうかお許しいただきたい。

(市立小樽文学館館長  玉川 薫)




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