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 旅システムさんのエントリ配信

2015/05/18
3.1ビキニデーに参加して

投稿: 旅システム (11:28 am)
◆東京にもあった大事な遺産
 2015年3.1ビキニデー集会が開催され、北海道原水協の代表団の一員として参加しました。事前学習として1日目に東京江東区夢の島にある第五福竜丸展示館を見学しました。羽田からモノレールに乗って天王洲アイルでりんかい線に乗り換え、新木場駅で降車。夢の島公園に向かう道すがら「第五福竜丸展示館」を案内する公的な掲示板がいくつもあり驚きました。10分ほどで展示館に到着。「都立第五福竜丸展示館という「都立」という表示を見て、公的な掲示板がある理由がわかりました。しかし、こうした施設が「都立」として建設されていることのなぞを持ちながら、場内に入りました。そして、入ってすぐに現れるその船体の大きさに驚きました。さっそくボランティア説明員の方が親切に説明をしてくれます。
 同船は1947年にカツオ漁船として誕生し、その後国策もありまぐろ漁船に改修され、1954年3月1日にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験により被災。2年間は国の管理下におかれ、その後水産大学の練習船として10年間使用され、老朽化のため東京夢の島に放置され、沈められる一歩手前だったとのこと。一通の新聞投書からこの船の保存運動が高まり、当時の美濃部都政の元で、東京都の施設として全会派一致で展示館が出来たとのこと。当時、革新都政の時代であったことと、全会派が一致するまでの粘り強い取り組みがあったことが、今も、入場料無料で維持されている理由だと知りました。死の灰を浴びて現存する唯一の船です。放射能汚染の心配を尋ねたところ、3年前にこの舟について線量計で測定したところ、この建物の外の方が高い数値であるとのことで、逆に衝撃を受けました。現在、同館の来場者は、修学旅行や社会見学等も含めて、年間10万人から11万人となっているそうです。


東京夢の島第五福竜丸展示館船の前にて


◆静岡駅周辺の散策、徳川家康と駿府城跡
 その後、新幹線で静岡駅に向かい駅の近くのホテルで一泊。二日目朝早く起きて、駅周辺を散策。駿府城跡の公園のさまざまな掲示物で徳川家康との深いつながりを学びました。早咲きの河津桜が見ごろを迎えていました。


近藤良明さん(写真左)


◆3.1ビキニデー集会、高校教師と高校生の調査活動を学ぶ
 原水協主催の集会と分科会が二日目にあり、そこで、高知の元高校教師の山下正寿さんの報告を学びました。勤めていた高校で、生徒たちに広島・長崎の被爆者が高知県にも多数おり、訪問して被ばく体験を学ぶ取り組みを行ったところ、あるお婆さんが「うちの息子は、2度被ばくした。一度目は長崎。そして2度目はビキニで。息子は入院しそして自殺した」と話された。何が起きたのか、本格的に調査活動を開始した。その結果、ビキニ環礁で被災したのは第五福竜丸だけでないこと。全国で沢山の被災船があること。実験は前後15年以上にわたり100回以上繰り返されていること。付近を操業した船はのべ1000船隻を超えていること。放射能被ばくと思われる症状の人びとが多数いるが、まともな調査は行われず、なんの保障もされていないこと。長年、国に情報を開示するよう求めたが拒否され続け、数年前からアメリカの情報公開によって、いくつかの事実が判りだしていること等が報告された。こうした内容をはじめて知り、衝撃を受けました。


焼津市内で開催された3・1ビキニデー日本原水協集会で
北海道原水協の嶋田さんが特別報告しました。
北海道代表団は全員登場。意見広告ポスターを揚げました。


◆久保山愛吉さんの墓前祭と核廃絶への誓い
 3月1日を迎え、焼津の駅から第五福竜丸の無線長久保山愛吉さんのお墓に向けて、小雨交じりの中を平和行進しました。途中、焼津漁港を通ってお墓に到着。「原爆の被害者は私を最後にして欲しい」と言って被爆から半年後に亡くなった久保山さん。核兵器廃絶の誓いを胸に焼香させて頂きました。
 最後に、世界大会実行委員会と現地実行委員会が行った集会には、会場いっぱいの2千人を超える人びとが参加しました。海外代表の一人マーシャル諸島共和国のピーター・アンジェインさんの核実験被害の実態と、マーシャル政府が国際司法裁判所にすべての核保有国を提訴した報告に感銘を受けました。
 戦後70年、被ばく70年、さらに平和の旅とたたかいの大切さが重要と感じ帰路に着きました。


久保山愛吉さんの眠る弘徳院へ墓参行進

近藤良明
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