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 旅システムさんのエントリ配信

2009/02/25
北星学園大学附属高等学校教諭 向 太一朗氏―――リトアニアでのこと

投稿: 旅システム (4:04 pm)
  2009年1月、学校の社会科研修として21名の生徒さんにリトアニアに行っていただきました。
杉原千畝さんはとても有名ですが、リトアニアという国はちょっとなじみがありませんよね。そこで、引率の向先生にレポートを書いていただきました。これを読んだら行きたくなりますよ。
(青木)
 


 1月8日、私たちはリトアニアの首都ヴィリニュスからかつての首都だったカウナスに移動しました。そこには旧日本領事館があり、今は杉原千畝記念館と名前を変えて残っていました。
 この杉原千畝は1940年当時、日本領事館の領事代理として、日本を通りアメリカへ亡命を希望するユダヤ人のためにビザを発行した人物として知られています。約6,000人ものユダヤ人の命を救ったそうです。記念館に入り15分間の説明ビデオの中でも次のようなユダヤのことわざが残されており、とても印象に残りました。
『一人の人間の命を救うことは、世界を救うのと同じ』この言葉が残すように、千畝が行った勇気ある人道行為は今でも讃えられているそうです。

 中では、2人のユダヤ人の方から話を聞くことができました。
 二人は当時カウナスのゲットーに収容されていました。ゲットーとはユダヤ人絶滅のために作られた強制居住区域です。彼女たちの口から語られた事実は本当に酷いものでした。
 まずはユダヤ人の中で知識人が最初の対象となりました。ナチスは先生や医者、薬屋などのユダヤ人に向けて「ドイツでは仕事に就けます。今すぐカウナスの大広場に来て下さい」と街全体にアナウンスをかけました。そして職を求めて集まった500人のユダヤ人をナチスは即銃殺しました。   その後4万人のユダヤ人がゲットーに収容され、「選別」が始まりました。ゲットー内の広場に集められ、比較的健康なユダヤ人は左側、その他のユダヤ人と女性、子ども、お年寄りは右側にわけられました。
 左側の1万人のユダヤ人は、強制労働させられるために強制収容所に行ったとされましたが、実は翌日すべて銃殺されていました。
 その後も右側のユダヤ人たちは徐々にゲットーから強制収容所に送られ、生き残ったのはわずか15名〜45名だったそうです。
 彼女たちはまさに奇跡の生還です。「私たちも明日死ぬかもしれない」という切迫した日々でも希望を持って生き抜いた彼女たちの話は本当に胸が熱くなりました。
  
  ゲットーの話をしてくれたユダヤ人の2人  
     
  
 千畝が発行したビザ 



 もうひとつこの旅で貴重な体験ができました。
 それは1月10日、ヴィリニュスの歴史博物館でリトアニアの元元首ヴィタウタス・ランズベルギスさんの話を直接聞けたことです。リトアニアがさまざまな国との争乱の中で、占領され、そこから独立に向けて動いた歴史を詳細に渡って説明していただきました。
 最も印象に残ったのは、ソ連(現ロシア)からの独立の時の話です。
 1945年からソ連に占領され、迫害を受けソ連での強制労働も強いられたそうです。
 何度も独立運動を繰り返しましたが、ソ連でのペレストロイカで最も大きな独立運動が起こりました。リトアニア国民の100%がこれを支持し、独立を宣言しましたがソ連はこの宣言に対して攻撃を仕掛けてきたそうです。
 リトアニアのテレビ塔と議会議事堂に戦車と軍隊が押し寄せてきました。当時、リトアニアの最高責任者であるランズベルギスさんは攻撃を止めるように当時のソ連の書記長ゴルバチョフに電話したそうです。しかし、全く取り合って貰えませんでした。ソ連は議会議事堂を攻撃の対象にしていましたので、中にいたランズベルギスさんは「死を覚悟した」とおっしゃっていました。しかし武器を持たない民衆70万人ほどが議会議事堂を囲み、民族の歌を歌いながら攻撃を防いだそうです。
 「まさに私の命はこの民衆に救われた」そう言ったランズベルギスさんの言葉がとても印象的でした。また、ランズベルギスさんは「この革命は歌の革命だった」ともおっしゃっていました。
 テレビ塔の方で残念ながら13人の犠牲者が出てしまったようですが、ほぼ無血革命と呼べるこの独立は歴史の1ページを塗り替えた偉業だと思います。和平と独立のために、命をかけて尽くした様子がひしひしと伝わり、生徒を引率していたのもすっかり忘れ話に聞き入ってしまいました。
  
 リトアニアの元首、ヴィタウス・ランズベルギスさん 



 千畝の記念館、歴史博物館においても、実際にその歴史を歩んだ人たちの話を聞けたというのは自分の世界を広げてくれたと思います。教科書やガイドには決して載っていない、その時感じた思いや戸惑いが言語の壁を越えて伝わってきました。
 また「私ならどうするだろう」という自問自答が生まれました。自分が歴史の渦中に立たされたら「正しい判断」ができるのでしょうか。きっと難しいはずです。だからこそ、生き証人の彼らの言葉が生むものを私は次の世代へ語り継がなくてはならないと感じました。

「平和とは」を改めて考えさせてくれる旅でした。
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