缶   詰


 旅システムさんのエントリ配信

2008/07/22
全視協執行委員 吉田重子氏−−一人旅のエピソード 

投稿: 旅システム (4:08 pm)
 「目が見えない人が旅行に行っても、景色が見えないんだしつまらないでしょう」とおっしゃる方がいる。
 事実、そういう理由からか、取り立てて旅行を好まない視覚障害者がいる。
 一報、「京都へ行ってきた」「長崎へ行ってきた」「フランスへ行ってきた」と、どこそこへ、「行ってきた」というそのこと事態に、意味を見出しているのかと思われるような視覚障害者もいる。
 ある意味、私は、後者に属するかも知れない。とはいえ、私は、それほど旅行の経験が多いわけでもないのだが。

 さて、視覚を補うべくは聴覚、嗅覚、ソシテ触覚。その他、靴底から伝わってくる地面の感触なども重要である。(これも、触覚と言えるのかもしれないが)ソシテ、その地その地の空気そのものも忘れてはならない。

 私は、昨年末中国に行ってきた。念願の中国。中国は、本当は歴史的意味のある旅行をしたかったのだが、今回は、とにかく時間を作って出かけてみること。
中国は上海近く水郷のまち朱家角。狭くくねくねした路地のようなところにたくさんの小さな店が並ぶ。雑然とした雰囲気が感じられて、「ああ、やっとここまで来たんだ」と感じ入る。小さな船での遊覧は私を満足させた。船の上で、周囲から聞こえるのは川で洗濯物をたたく音、絞る音、まさに、川と人々の生活とが一体となった水郷の町を感じることができた。
 翌日の杭州の湖、西湖でも遊覧。このときも小さな船で、湖の風邪が感じられた。同行の友人は風邪気味だったので冷たい風を受けて、気の毒なことだったが、私は申し訳ないくらい満足していた。

 ソシテ最終日。外灘での遊覧船。これは、まさに、りっぱな遊覧船で、音の風景も風もなし。船内アナウンスは、私には言葉がわからないので子守唄とさせていただくこととし、これは西湖の分のお返しということで友人に大いに楽しんでもらうことにした。

 「百聞は一見にしかず」ならぬ「百聞は一触にしかず」と表したのは、岩手県在住のS氏。全盲のS氏は、自ら収集した品々を公開し、触れる博物館を設立された方である。お話によると、やはり各地を回られ、そこで手に触れた品々を買い求められたとのことだった。

 手に触れた品々。再び中国の話である。狭い路地に軒を並べる店々には、いろいろな小物があって面白い。つい商品に手を触れる。すると「20ゲン、20ゲン」「10ゲン、10ゲン」と店の人が付いてきて離れない。こちらから「これいくら?」と尋ねるのではなく「いくらなら買う?」という相手からの詰問に対して、毅然としていなければならないことは海外では常識の範囲とはいえ、やはり商品には触れてみたくなるものだ。私たちには「遠めで」とか「眺める」ということができないのである。それでも、どうにか、同行の若いガイドさんが、一所懸命、あちこちでその場をとりなしてくれた。

 地下鉄駅では、すれ違いざまに体と荷物ががんがんぶつかってくる。
皆、大きな声で会話しながら歩き、相手をよける様子がないことも少なくなかった。
日本人のマナーが悪くなったと取りざたされる昨今である。もちろん比較するべくもない。この国の人たちを「マナーが悪い」と片付けるわけには行かないのだろう。これが、この国に以前から根付いている当たり前の生活なのだと思う。あえて、どちらがいいとか、悪いとか言う価値判断は止めよう。まさに「百聞は一見にしかず」は、こんな小さなたわいもないことに潜んでいた。
 小さなこと、たかが小さな日常の振る舞い、されど……である。「違いを認めることは国際理解の一歩」とはよく言ったものだ。やはり、国内であれこれ言っているだけでなく、できるかぎり出かけよう。

 ちょっとした旅行の雑感を書くつもりが、いささか飛躍の感あり。とりあえず、このようにして、旅を楽しんでいる。
 
 
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