(株)旅システムで、「伊藤千代子のロケ地をたどる・長野平和と文化の旅」を企画していることを知り、訪問先に私の故郷近くにある「満蒙開拓平和祈念館」もあり、長旅はもう今回限りかも知れないと思い参加しました。
 私は、子供の頃、父親が「戦争で青春を奪われた!」と呟いた言葉を忘れることが出来ません。「どうして反対しなかったの?」と聞き返した私自身の言葉も忘れる事はありません。
 私の八歳年上の従妹も「満蒙開拓団」で満州からの引きあげ者です。逃避行の中、途中で母親が亡くなり、幼児の弟は足手まといになるので青酸カリを飲まされて亡くなり、飲むことを拒否した従姉は、四~五歳で一人になって、同行の人達に付いて帰ってきたそうです。そして母親と弟の爪と髪を持ち帰り、お墓に収めたと聞きました。子供の頃に体験することで、こんなに辛い事があるでしょうか?私も、そんな事を想像するだけでいつも涙が出てしまいます。七年前に上映された「満蒙開拓団」の映画を見た後、従姉に電話をして、大よその事を聞くことが出来ました。知るべき事を知ってよかったと思っています。
 従妹は、父親がシベリアから戻り、二年後に再婚をして妹が二人できましたが、そうした家庭の中で、亡き母親の事は封印して過ごし、自分の子供にも辛い過去は話していないと言いました。私は伝えてほしいと思いますが、本当に大変な体験だったと思います。
 日本が満州事変を起こして中国侵略を開始したのは1931年でした。5年前に公布した「治安維持法」による弾圧で、小林多喜二が虐殺され、この頃、千代子も逮捕され拷問を受け「拘禁精神病」を発病し、最後は肺炎で亡くなりました。24歳と2ケ月でした。治安維持法など治安法規による逮捕者は数十万人と言われ、死者も多数にのぼったと言われています。侵略政策を突き進んだ明治政府の大罪に改めて胸を痛めました。許すことが出来ません。
 千代子の遺骨は遺族が故郷、諏訪のお寺に葬りましたが、3人の「特高」が見張っていたとの事です。今は諏訪湖を見下ろす斜面の高台にお墓とともに、三角のアーチ形の顕彰碑がありました。この顕彰碑は地元に皆さんと全国の千代子にゆかりのある方々の寄付でできたとの事です。バスでは墓までゆけないので、地元の支援者が車で送迎してくれました。千代子は今も地域の人達に支えられて生きています。
 映画「わが青春尽きるともー伊藤千代子の生涯―」は地元の高校でも上映されたそうです。その感想文には「千代子さんの生きざまは、とても深く心に残りました。まっすぐに凛とした千代子さんの姿を見て、自分自身の生き方についても深く考えさせられました。僕は千代子さんの事を“他者の事を自分自身のように考えられる強くとてもやさしい人“だと思いました。(中略)国家と違ったとしても自分の考えを曲げない。千代子さんの強さ、やさしさを見習い、心の糧としたいです」とありました。長野では各高校での上映運動を進めているそうです。北海道では全市町村での上映をと「上映実行委員会」が努力中です。二度目、三度目の上映も含めて広くこの映画をみんなで鑑賞し、できれば高校生に観てもらい感想を出しあってもらえればいいなと思いました。
 尚、千代子の最後の手紙、四通が苫小牧市立図書館に所蔵されていとの事です。弾圧で捕らえられ、獄中で変節させられた千代子の夫は、知人の招きで北海道に移り住みましたが、その母親などにあてたものです。元苫小牧市議の畠山忠弘さんが公開を要請し2005年に実現しました。
 畠山さんは最後の手紙に寄せた思いを「こころざしの歌」の詞を作り、のちに「追悼・伊藤千代子」の曲が出来ているとの事です。千代子と北海道はこんな形でつながりがあることも初めて知りました。とても有意義な旅でした。

札幌市東区 佐藤 広美