行った、見た、あった 福島の三日

 今をさること2068年前、ローマのカエサルは小アジアの戦闘に勝った時、「来た、見た、勝った」とローマに報告を書きました。カエサルには遠く及びませんが3・11事故から10年目の福島を訪れた今、勝つことはできないまでもカエサルにあやかって、来て、見て、感じたままを。

来た

 福島は綺麗になったのでしょうか。確かに2年前には街にあふれていたフレコンバッグはあまり見かけなくなりました。しかし除染されていない場所の放射線量はほとんど変わっていません。放射線強度がなかなか減らないことは、福島に色々影を落としているようです。未だ立ち入りが制限されている双葉、大熊、浪江町の制限区域はゆっくりと崩壊しています。今風の建物は外見は綺麗でも崩れていきます。あちこちに残骸を残し、街はゆっくりと崩壊しています。
 点と線の除染で達成した帰還地区も住民の帰還は進みません。双葉郡の11市町村で帰還できた方は32%。帰還者の数には廃炉作業や除染作業で新たに転入した方も含んでいます。実際の帰還者はずっと少ないでしょう。深刻なのはこの10年間で住民登録者数が20%も減ったことです。この方達は避難先に住むことを選択して帰還を諦めて方です。そしてこの地区の高齢化率は全国平均の1.5倍!

観た

 福島県は3・11を後世に伝えようと記念館を双葉町に作りました。伝承館です。この施設がすこぶる評判が悪い。
 現地の方が書かれた評判を読むと、「メルトダウンの原因究明なし」「安全神話の反省なし」「被害分析不十分」「復興の目玉がロボットや空飛ぶ自動車?」などなど。その結果広い会場に展示する内容が足りないのでしょう、展示が貧弱に見えます。
 伝承館の目玉の「語り部」さんにも色々あるようです。災害を体験なさった方が、「語り」を通して後世に伝えようと考えられた企画ですが、聞くところによると「国や東電など特定の団体を批判してはならない」とかなんとか。私たちが聞いた語り部さんのお話も、避難指示で逃げるとき大渋滞が起き、その時整理する警察の方は防塵マスクやゴーグルで武装しているのに逃げる住民は丸腰、情報の伝達が成っていないと話すことが限界、と感じました。
 こんな伝承館に反発したのでしょう、在野の目線で事故を展示しようと、伝言館が楢葉町の宝鏡寺に建てられました。1階は福島事故についての展示、地階は広島長崎や第五福竜丸などについての展示に当てられます。わたし達が見学したのは開所の1日前、まだ展示準備中で明日の開所に向けての突貫工事中でした。
 上野の東照宮にあった「非核の火」も伝言館に移設されました。広島に投下された原爆により起きた火災の残り火を伝えたものです。

あった

 カエサルは「勝った」と書きました。誰かさんが「アンダーコントロール」と発言しても、伝承館で復興を麗々しく展示しても、福島の状況はとても勝ったとは言えません。そんな中で3日目に案内をしていただいた三浦さんの話がとても印象的でした。農業と自然エネルギーが明日への橋渡しになると。
 小さな河川に分断され、そこに作られた狭い平野が並ぶ浜通り。そこはかつて、「浜通りのチベット」と言われていたようです。そのまま進めば高齢化と過疎の波に飲み込まれ、限界集落ならぬ限界地方になりかねませんでした。そんな中で選んだのが原子力発電でした。その結果は人口増と、そして「どこの家にもいる東電関連者」でした。栄える原発、その陰で疲弊する農業、案内していただいた三浦さんの言では「過去20年間農業就業者はゼロ、そしてこれから20年間もゼロ」とのことでした。
 そんな中で起きたのが3.11原発事故でした。原発周辺に大量の「耕作不可能地」が生まれました。今のところ原発の補償や除染、廃炉作業、復興予算でなんとかなっていますが、いつまでも続くはずはありません。その後どうするかが切実です。伝承館が展示するような「空飛ぶ自動車」や、どこかの首相が見学した「水素工場」がうまくゆくとも思えません。
  三浦さんはおっしゃいます、耕作放棄地が生まれたのなら、そこに太陽光発電をやれば良いと。いずれ切れる復興予算建設をそれに当てて将来に備えれば良いと。でも農民です。農業をやめて太陽光を目指すのではなく、農業もやり太陽光発電も行う、そのための方法がソーラーシアリングであると。

審判

 浜通りが原発を選んだことはよかったのか悪かったのか(正しかったかではありません)、それは今後の歴史の審判を待つことになります。今までのところ伝言館の展示を見るまでもなく悪かったことだらけです。しかし今回のツアーで見えてきた成果は、小さいけれど農業再生の目が見つけられたことでした。

原発やめよう!登別の会 宮尾 正大