出発日お昼に湯葉工房「湯葉に」着いて、「おこしやす」の言葉で迎い入れてもらうと、「あ~京都に来られた~」と実感しました。というのは、このコロナ感染拡大の下、実施できるかどうか不安でしたが、15人が参加し元気に行って帰ってくることができました(もちろん、感染予防を徹底させて)。
 「古都京都で革新の歴史を学ぶ旅」として、1日目は、宗教平和協会の淨泉寺大原光夫住職が空港からのバスに同乗してもらい、京都の革新のお話や、見学する寺院の解説をして頂きました。京都がなぜ革新が強いか~ものを言う宗教者が多い。それは、戦争中軍部に屈した経験から「平和の願い」を常に行政に訴えてきている。今も京都府知事と清水寺や金閣寺の住職たちが懇談し「京都に軍事レーダーを持ってくるのはいかがなものか」と発言している。京都の人は「私は保守ですから、共産党を支持します」と言う人がいる~など、エピソードを添えてユーモアなお話しがありました。
 それから金閣、銀閣と並んで「京都の三名閣」の国宝である西本願寺の飛雲閣(残念ながら中は非公開でしたが、隣には秀吉が利用した蒸し風呂があり境内の隠れた別荘の雰囲気)を訪問、そして普段公開されていない清水寺成就院の庭園を静かに見学(職員の方から、世界遺産の庭なので少しでも違った樹木の刈り込みはできないなど苦労話も)、聖護院は山伏で知られる修験道の総本山で、公開されていない襖絵を今回特別に見学できました(受付のところには、「憲法9条はそのままで」というポスターが張ってあったのが印象的でした)。最後に、島津制作所旧本社ビル(小樽の石造りの建物似)で、竹林づくりの中庭を見ながらのフレンチに舌鼓を打ち1日目が終了しました。
 2日目は、この旅メインの宇治へ。残念ながら朝から大雨、天気予報を見ても終日雨…。ホテルから大きめの傘をかりてJRに乗り込みました。宇治駅で地元ボランティアのガイドさん2人と合流。蜜のならないように2グループに分かれて、世界遺産の平等院を見学。十円玉にある鳳凰堂には、一回の入場が25人に制限されて、消毒・検温してコロナ対策の大変さを実感しました。雨の中歩いたので、体力ある人が宇治上神社へ、休みたい人は一足早く山本宣治(山宣)の実家の料亭「花やしき浮舟園」へ向かいました。
 「花やしき浮舟園」では、山宣会の薮田秀雄さんからレクチャーを受け、おいしい穴子箱飯の昼食後「山宣資料館」を見学しました。山宣については、「京都から衆議院に当選し、国会の中で一人治安維持法に反対し、暗殺された」くらいの知識しかなく、薮田さんから山宣の生い立ちや、山宣の業績を多く学ぶことができました。私が一番ひかれたところは、カナダ留学で「平和と民主主義」と「生きた生物学」を学んだ山宣が民衆のために産児制限運動を強くすすめていたところです。当時日本政府は、安い労働力と戦争に必要な兵員を確保するため国民に「産めよ、増やせよ」と子づくりを奨励、そのため「貧乏人の子沢山、生活難」を強いていました。そんな中、警察の検問の目をそらすため、知恵と工夫で合法性を得ながら、本質なところでは妥協しない形で性教育の教科書を出版し、普及したのです。「科学の目」で政治をみることの大事さは現代にも通じるものがあると感じ、山宣の「民衆とともに歩む」「平和で民主的な社会を築く」思いを引き継がなければと強く思いました。 その後雨もあがり、治安維持法で逮捕され獄死した朝鮮人の詩人尹東柱(ユンドンジュ)の碑と高台の墓地にある山宣のお墓にもお参りできました。
 3日目のフリータイムは、私は一人で天井図が有名な妙心寺、国宝の薬師寺如来坐像が特別公開されている仁和寺、石庭が美しい龍安寺を回ってきました。妙心寺の桂春院の庭をみながら一人でお抹茶をゆったり頂戴できたのは、コロナ禍で外国人もいない、旅行者も少なかったからでした。他の寺院では庭をみながら語り合う若いカップルや、座禅をする女性など、京都のお寺ならではの風景が見られました。
 今回は3日間でしたが、「旅システム」ならではの地元の方々との交流ができて有意義な旅でした。また、機会をつくって京都を訪れたいです。

北海道平和婦人会 長谷川紫乃