3・1独立運動100周年記念―鄭在貞先生と歩くソウルに参加して

M・T

 平和の旅を企画する「旅システム」さんと、「たかさき法律事務所9条の会」・「平和と教育を考えるツアー連絡会」共同企画の上記ツアーに参加しました。個人的には昨年の劉連仁さん生還60周年石狩当別の旅(8月)・南京ツアー(11月)に続く学びの旅でした。日韓関係の根本は何なのか、世間で流布されてる嫌韓同調ニュースに嫌な思いをしている人も少なからずいるはず。そんなモヤモヤ感を抱えた一人としても願ってもない旅です。歴史はきちんと学ばないといけない、傷ついた側はしっかりと記憶する手段を取り、国を挙げて学んでいる、これに対して今我が国は負の歴史を無きことにしたい方をトップに持ち、私達は今日の平和憲法の成立に至る明治以来の近現代史・戦争の歴史を学ぶ機会を十分に持つことがなく今日に至り、その落差がいかにも大きいという事を現地で実感してきました。自分の国が植民地にされるなんて…、耐えられない、過去に日本はそれをした。そして支配国日本の意向に沿わず、自国韓国の本を持参した人はそれだけで捕らえられ西大門刑務所へ収監、西大門刑務所博物館は韓国の子どもたち、小さい子から小学生、中学生達が修学旅行などでたくさん来ていました。日本にはこの歴史を検証する博物館はあるんでしょうか?
 なかった事にはしたい、その野望は満ちて両国関係を悪化させています。
 解決済みと言い張り、韓国にばかり非があるかのように描き責める、事実はなにか、根本原因にさかのぼり、関係の改善を図る、そういう姿勢が問われていると思った旅でした。
 日韓問題の行方は引き続き焦眉の課題で、日々ニュースで流れます。今回のツアーで鄭先生の説明を聞きながら過去とつながる今の韓国ソウルの町を歩き、徴用工問題の弁護士、崔先生のお話しを聞くというかけがえのない機会を得ました。難しい事も優しく案内して下さる旅システムの青木さん、楽しきリーダー団長髙崎暢先生はじめ参加の皆さんとご一緒に素晴らしい旅ができたことを感謝しております。

■千歳発着の楽な旅

 札幌の旅行業者である旅システムさんならではの良さ、それは羽田や成田にいかなくて良いことです。らく^~。
 韓国からの旅行者は激減中、訪韓旅行者も減ってるのですが、当日千歳の国際線カウンターはそれなり行列でした。いう程でないのかなと思いました、実態はどんどん減っているのかもしれないです。

■大きな仁川空港

 荷物を待つ所に、水文字を表わすコーナーがありました。「歓迎」とか「ようこそ」とか書いてるのかも知れません。水が滴り落ちるその時にうっすらと文字になっては消えます。

■西大門刑務所歴史館 続いて 水曜集会

「近現代期、韓民族の受難と苦痛を象徴した西大門刑務所を保存・展示している博物館です。日本帝国主義時代には、祖国の独立を勝ち取ろうと日本帝国主義に立ち向かって戦った独立運動家達や、解放後の独裁政権期には、民主化を成そうと独裁政権に立ち向かって戦った民主化運動家達が監獄暮らしの苦しみを味わい、犠牲になった現場です。(西大門刑務所歴史館パンフレットより)」

今回は豚コレラの危険性のため、DMZへはいけませんでしたが、その分たっぷりと西大門刑務所歴史館に行く事ができました。トイレもきれいで、校外学習、修学旅行の子どもたちが大勢来館していました。展示室で先生方が熱心に説明してました。中学生、小学生、それに幼児のみなさんも、保母さんらしき先生がさかんに何か言ってました…「早く早く」なのか「気をつけて気をつけて」なのか「ゆっくりでいいよ」なのか。
 中学生らしき人達は手に手にスマホを見ながら階段を上がり、今やペーパーのしおりではなく、スマホの画面に行程や解説が載ってるんかしら?それとも自由に見たいものを見てたのか?こうした学習の場、子どもたちが自国の歴史を学ぶ積み重ねが韓国の民主主義を育てていました。
 ひととおり見学して休んでいると、きれいに化粧をした女子グループが(中学生?)インタビューをしたいと申し出てきました。これに対して、ツアーの団長弁護士の髙崎先生が子どもたちに聞いてくれた事への謝意を述べながら、このツアーがなぜ今ここに来て何を学んでいるのかを話してくれました。中学生達も嬉しそうでしたが私達も来た意味を再確認する場となりました。中学生のインタビュー記事は?…機会があれば見てみたい。
 水曜集会では、床?地面に皆座って話しを聞くのですが、ここに来ていた今度は男子中学生に髙崎先生がインタビューしていました。ガイドさんが通訳さんです。
 ついでに水曜集会では小学生が10人くらいで登壇していて、すこし太めの男の子がスピーチをしていました。日本の人は韓国の人たちが日本製品を買い控えしている事をどうせ韓国人はすぐに忘れると言ってるけれど、そんな事はありません。韓国人は忘れません。ごめんなさいと言う言葉を言うのは難しい事ではありません。そのごめんなさいをどうしていえないんですか!と言ってこみあげ周りの子達が支えていました。自分の言葉で述べる小学生、それを聞く若い人が多かった参加者、ソクラテスとかがギリシャの広場で意見を言い合う、民主主義の原点が日本大使館前ソウルにあると思いました。自由だな、いいなと…。
 日本では激しい言葉ばかりを拾って韓国ではひどいことになっていると思われていますが、そんな事はなかった、素朴だし、まじめだし、かわいいし(子どもたち)私達も薄いプラシートをもらって座って聞いてましたが穏やかな集会でした。
 行った時はちょうど合唱グループがにこにこして登壇して「アリラン」を歌ってました。 日本の人ですか?と話しかけてこられた人がいて、東京から一人でここへ参加、私たち日本人を見て嬉しかったみたいでお隣に座って旅の行程を話されてました。
 「アベ政治を許さない」の小さいラミネート板を持ってました。釜山への航路は7割引きだったが台風で欠航だったと言ってました。
ツアー参加者一同が驚いたのは小学生を先生が引率してやってきているという事。日本ではありえない事で、歴史は今も作られてるので歴史館にも行くように水曜集会にも学びに行くというのは、なんの瑕疵もありはしない学習です。北海道では「アベ政治を許さない」と書いたファイルを先生が持ってるのをみたら通報してと言っていた道教委。
 すごいな韓国です。ナヌムの家で会った大学5年生の女の子が立って聞いていていました、青木さんに教えられてそばに行って握手!!嬉しかった。

■ナヌムの家へ ~日本軍「慰安婦」歴史館・追悼館の見学~

 ハルモニさんに会いに行きました。
 農村地帯でした。右手に大豆畑、ビニールハウス内にトマト、赤とうがらしの赤…畑の周りのコスモスがピンク・白がきれいに映る、大都心の後だっただけにほっとする風景、そこを左折して少し上ったらハルモニさん達の胸像が並ぶナヌムの家でした。
 床暖があたたかいホールで待っていると髪を後ろでしばった男性に手を取られながらハルモニのイ・オクソンさんが来てくれました。体調がお悪いとか、お会いできないこともあると聞いていたのでお会いできて良かったです。

― イ・オクソンさんの証言 ―
 「慰安」という名だが、死刑場のような所だった。自殺した人も多い。どれほどこういうひどい目に遭わせたと思っているのか。14歳の子は反抗すると刀で切りつけられ、殺され大通りへ裸のままさらされた。野犬に骨までむさぼり食われた。にも拘わらず私達の証言を日本政府は嘘だと決めつけます。多くの少女たちが死んでいきました。強制したと認めず金を稼ぐため自ら進んで行ったと言っている。
 幼い少女の胸を切りつける、血が噴き出す状態で兵隊はレイプをしていった。私達が嘘を言っていると日本政府は言う。早く謝罪してもらえるように力を貸して下さい。
 (1927年釜山生まれ、14歳の時に両腕を捕まれて中国へ連行され性奴隷にされる。2000年に韓国へ戻るも父母兄も亡くなっていた。ナヌムの家に入る、93歳)

■イさんのお話の後の交流で

・若い者へのメッセージはありませんか?(一人で訪ねて来られた大学生)
―私達の生きている間にきちんと謝罪しなければならない。謝罪してもらえるように助けてほしい。日本は私達に良いことは何もしてくれなかった。若い人に言いたい事は自分達の歴史を学んで日本政府を動かしてほしい。私は日本を悪く言ってるのではありません。日本政府安倍政権を悪く言っています。

・慰安婦だったことを明らかにしたのはいつ頃でその時のお気持ちは?
―私に限らず、親兄弟に話せることではない。看板をつけられるようなことで家族にすら話せない。中国から2000年に帰って公けにした。キム・ハクスンさんが名乗り出たので自分もと決心した。
[最初に名乗り出た人がキム・ハクスンさんで1991年8月14日はキム・ハクスンデーになっている]

・髙崎暢先生から
 貴重なお時間をとって下さりありがとうございました。
 私達が14名で訪ねてきたのは3・1独立運動の100周年にあたり、日本の植民地政策でいかにひどい仕打ちをしてきたのかを学ぶためにきました。日本政府が公式に謝罪することが一番で、日本がしてきた歴史的誤りを公に認めさせる運動を今日の学びを宝にしてエネルギーにして行きたい。語り部活動をされているイさんが生きていらっしゃることが先決なので今まで以上に健康にお過ごしになってほしいです。健康でいらっしゃる秘訣はありますか?→「ありません」 いつまでもお元気でいて下さい。

 このあと歴史館を学芸員の矢嶋さんの案内で廻る。夕食はこの矢嶋さんと交流しながら。
 ここで髙崎法律事務所の池田さんが若い参加者の声を拾ってくれました。

・Wさん(弁護士)~強制性はなかったと言う人達の話の根拠は浅い、そういうてきとうな話しには真実を突き付けるのが一番。自分なりに学んで行く上ですごく財産になりました。
・女性の方~わかった事は発信する事が大切で言わないと伝わらない、今言わないと後に伝わらない。
・矢嶋さん~ナヌムの家ではボランティア滞在ができます。住み込みながら、歴史の目撃者になる重みを感じて下さい。2003年から2006年の間は日本からの訪問客が多かったが
 訪問者が減りました。しかし日韓関係の悪化をバネに訪問者数が復活しつつあります。

 イさんは水曜集会の時、ステージの横に車いすで参加されてました。
 ナヌムの家でお話を終えて握手にいったらイさんの手は柔らかくて温かかったです。
 笑顔も柔らかでかわいらしかったです。

■ガイドの孔さんのお話

お世話になった孔さんは最終日の朝仁川空港へ向かう車内でこれだけは言いたいと息子さんの入隊の話しをして下さいました。韓国には徴兵制がある、胸に迫るような実体験を
 聞きました。息子さん二人、18歳で入隊。韓国人である意味を肌で感じ、胸が苦しい。行って来ますと礼をして入隊した息子さんから三日後小包が届く、箱には着ていた服、靴、携帯が入っていて気持ちがおかしくなった。無事だから安心してというメモも入っていた。その後手紙のやりとりをした、ふだん言えないことも手紙に書いてこの間は幸せだった。休戦ライン近くの任務ではこちらに大砲が向けられているのも見え武装したまま寝る。南北の統一問題が一番大きい。統一しなければならない。悲願である。一日も早く往来できるようになりたい。ソウルから板門店まで60㎞、そんな近くにありながら行けない、北に親戚があるのに分断されている痛み。南北首脳の会談を報じたTVを見た時の喜びは夢のようだった。
 大変な思いで過ごされてることを知りました。考えると辛くなる事実史実をたくさん見聞きしました。日本でも同じ歴史館が必要でしょうと思います。「記憶されない歴史は繰り返される」と印字された台座がありました。林権介の銅像の残骸を逆さに立てた裏に光復70周年に恥辱の戒めとすると書かれてありました。恥ずかしいのはこちらです。
 3日目徴用工裁判の崔鳳泰弁護士のお話を聞く機会がありました、難しかったですが明るく楽しい人柄が魅力でした。学ばなかった近現代史を知る旅でした。

 旅システムさんから事前にいただいて読んで行った鄭先生のパンフを帰ってから読み直して心に残ったのでここにおきます。スケールの大きな歴史観がすごいです。

 「ソウル市立大学名誉教授 鄭在貞先生は中央日報日本語版5/6(月)で東アジアの未来は韓日の絆の再発見にかかると書かれています。『韓国と日本が過去の懸案を賢く克服し、韓日関係の歴史を相互和解の観点で新たに確立することを望む。帝国と植民地の歴史の和解は西洋でも実現しなかった難しい課題だ。韓日両国の国民は世界史に偉大な業績を残すという使命感を持って歴史の和解へ向けて切磋琢磨しながら前進する事を期待する。』」

■おいしい韓国料理

 食の文化韓国。三日目のランチは参鶏湯でした。あらかじめレクチャーを受けました。バスの車内で孔さんが参鶏湯のいただき方を教えてくれました。すごい熱そうなお鍋が一人一人に運ばれます。あらかじめ塩を載せた小皿にやわやわの鶏肉をつけていただく。おいしいことおいしこと。お箸が進みます。鶏さんのおなかにはえらいことに高麗人参まで入っています。そんな高級品が収まってるなんて。苦手な向きもあるやに聞きましたが、ハーブのような爽やか系の香りで苦手という感じではなかったのが良かった。日頃は手の届かない所にある高麗人参はまずまず柔らかくあったかく、優しく入るという感じでした。そしてまだまだです、おなかの中にはもち米のかたまりに銀杏、ナツメも入っていて、髙崎先生が「栗がある」とおっしゃり、宝探し的に「栗」との遭遇を待ちました(笑)。スープもみんな飲んで下さいと青木さんに言われてたのは残念ながら守れませんでした。量が多かったからでした。参鶏湯一つで大満足のお昼でありました。人参酒もいけました。ところでキムチもどこにいっても出されるごちそうでした。辛さも店によって違って、おもしろい。だんだん慣れていつも食べていたい感じになりました。

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